ごきげんよう!
カッパウロです。
さあ、療養生活開始! うつ体験記の第3回です。
休んで休んで、少しずつ元気を取り戻しますよ!
飯うまー! 熟睡! けしからん!
うつになったときのことを今から振り返ってみると、俗に言う人間の三大欲求、「食欲」「睡眠欲」「性欲」が軒並み狂った気がします。
私の場合、食欲、というか「食」そのものに対する喜びや楽しみが減り、不眠症になりました。性欲はもう極端になくなりました。
ということは、治療していく過程で徐々によくなってきて、「うつから抜け出す」段階というのは、その逆になるということですね。
すなわち、「メシがうまい! ぐっすりよく眠れる! このスケベ!」という状態になることなんじゃないかと。
私の場合、ね。
「メシがうまい」なんていうと、ネットスラングの「メシウマ」みたいに「他人の不幸で飯が美味い」という意味にとっちゃうかもしれませんが、ここでは本来の意味で、純粋に「食事が楽しめている状態」のことですよ。
まあ人の不幸を笑えるほどのメンタルになったとしても、違う方向でうつを脱していますが(うつのときは自分を責めがちになっていることが多いので、他者を上から笑えない感じです)。
睡眠は基本ですよね。
健康体であれば入眠に日々苦労しないし、深い眠りも得られるはずです。
あとは性欲。
ここは掘り下げてもアレですけど、せめて健全なリビドー反応くらいはしてほしいものです。
「ステキな異性をつい見ちゃう」とかね。
「タマらん!」とか「うっひょー!」とか「ムラムラしちゃう」とか…そんなハートよもう一度、戻ってきて! といったところです。
けしからんモノに男子としての正しい反応をしてほしいのです。
え? ただの老化による衰え? いやいや…認めん!
この世界がどう見える? どう見たらいい?
さあ、それはさておき休みです。
寝ても覚めても休みです。
とりあえずやることもないのですが、その前に何もやる気がないので…。
何もしませーん!
うつになりますと、先の俗に言う「三大欲求」のような生理的な欲求だけではなく、自分の趣味、毎週楽しみにしていたテレビ番組や連載漫画…そういった心ときめくマイフェイバリットシングスにすら心の反応が鈍くなっていきます。
好きだったものにときめかない。楽しかったことにワクワクしない。
うぬぬ…。なんだろう、心の中にビビッドな色が出てこなくなるんですね。
全部灰色というか。
印刷のインキなどのCMYKカラーモデルで例えると、喜怒哀楽の感情が色の要素、C(シアン)、M(マゼンタ)、Y(イエロー)、K(ブラック)だとして、普段の生活はその4要素が織り成す混色でフルカラーとなっているわけですよ。
うれしかったりさみしかったりいろいろごちゃまぜだったり、場面場所によっていろんな色で。
それが暮らしの中の彩りってやつじゃないですか。
ですがうつ状態のときは単色なんです。
世界がカラー印刷じゃないんですよ。
モノクロの濃淡だけな感じです。
本来大好きだったようなことにも感情が反応してくれないので、色が出てこないんですね。
パソコンのプリンターだとすると、うつになると心のプリント設定がもうグレースケールなんです。
となると、正直何をやってもダメなんですね。
やる気もないし、やっても「灰色ですねえ」で終わっちゃう。
じゃあもう心がそういう状態なんだから何もしないでいいじゃん、と。
ケメ子にはいろいろ話して理解もしてもらっているし、また洗濯物を取り込むとかおつかいとか出来る範囲の家事はやりますよ。
ですがあとは基本的には通院以外予定は入れませんでした。
ただ何もない毎日を何もせずになんとなく過ごす。
そう、いうなれば自主的なひきこもりです!
…って今なら明るくポジティブにそう言えますが、それは経験上、通過してきたから言えることでもありまして、うつの治療で療養生活を始めたばかりの人に、「何もしないでいいんだよ~」というのは、なかなかそれはそれでむずかしいものかもしれませんね。
でもこの時期大切だったのはマイナスな考えを振り切って、「考えることすら休んじゃう」ことだと思いましたね。
「何でこんな病気になっちゃったんだろう、治るのかな」って悩むことや、「早く社会復帰しなくちゃ」と焦ること、「休職して家計も支えられずスミマセン」と自分を責めてしまうことなど、こういった考えにとらわれている以上、よい休養にはならなかったでしょう。
そんなもん振り切って、つらいところがんばってきた自分への、「気が済むまでのリフレッシュ休暇」「大人の夏休み」みたいに捉えて、だら~っとすることにしましたね。
プラス思考でもマイナス思考でもなく、ノーモア思考ですね。
助言、アドバイス、心配…ありがとう。でも聞かん! ほっとけ!
休みだして一番厄介だったのは、懇意にしている方々からのありがたいお言葉の数々でした。
みなさん本当に心配してくれていて、私のことを想ってくれての発言だとわかっているので傷つきはしませんが、なんというかその~、返答に困るんですよ~。
特に年上の方が多いのですが。
「家にこもってちゃあダメだ! 精神がますます腐るぞ。何でもいいから外に出て活動しなさい!」とか。
こちとら活動できないから、しても味気ないからそんな心に休養を! なワケですもんねー。
うつを精神論、気合いの問題だとされちゃうともう切り返せないんですよね。
あとその延長というか、とにかく外出に誘ってくれる人。
お出かけでもして気が紛れれば、と思ってくれているんですよね。
ごめんなさい。
誘ってくれて本当にありがたく思っているんですよ。
でもやる気が出ないんで行けないです。
行ってもたぶん気まずくなりますよ、お互いに。
そして出かけたからってうつはよくなりゃしませんし。
で、そんなお誘いをやんわり断ることも、もう、しんどいのです。
こっちから「どっか行きたいなあ、連れてって~、付き合って~」ってなるまではそっとしておいてくだされ。スマン!
みなさん感謝してますよ~!
そんなもんだよ~
薬にも慣れ、淡々と日々を過ごし、徐々にわかってくることがあります。
それは、「自分がいなくても仕事は動く」「自分がいなくても会社は回る」ということです。
迷惑かけたり負荷をかけたり、それはあるでしょうけどそんなもんです。
なんとかなっているんです。
なんとかなっていない部分があったとしても、その場そのときで適当に処理されていくでしょう。
べつに自分がいなくても職場は、会社は、取引先は大丈夫なんです。
「私がやらなきゃ」「私がいないと」「丸投げなんて…」「引継ぎもなしに」とかいうことを考え過ぎていた、そういった考えにとらわれていたことについに気付きましたね。
仮に自分の職場の誰かが事故や病気で突然亡くなったとしましょう。
悲しいし、業務の面ではそりゃバタバタするでしょうけど、それだけです。
会社自体は潰れませんよね。
社内の誰かが担当を引継いだり数人でシェアしたりして、わからないながらもその場その場をしのいで日々対処していきながら、取引先や顧客との関係を続けていくのではないでしょうか。
だからもういいんです。
職場、会社はなんとかなってるんです。
ほら、思ったほど電話やメールも来ないし。
どーんと休んで、よくなってきてからいろいろ考えればいいってことですな。
なんだかふっきれましたね。
チェンジでお願いします! (キリッ
2ヶ月くらい休んで、なんだかちょっと楽になってきました。
食えるし眠れるし。
不安にさいなまれることもなくなってきたような気がします。
抗うつ剤が効いているんですかね。
ただ薬に慣れたとはいえ、私には合っていないのかちょこちょこ副作用でキツいときがありまして。
先生にその辺相談してみたら、「違うお薬に替えましょうか」となりました。
そのとき服用していたのは「パキシル」です。
「効きが強いのは保証するが副作用もそれなりに強いぜ。キレのあるやつだ。どうだい兄ちゃん、使ってみるかい?」
というほんのり勇気のいるお薬ですね。
お酒に例えるなら、すぐ酔っぱらえるけど二日酔いにもなる強い酒、みたいな諸刃の剣でした。
あくまで私の場合ですけどね(もちろん副作用を感じない患者さんもたくさんいるでしょう)。
それを「ジェイゾロフト」というお薬にチェンジしてもらいました。
ジェイゾロフトもパキシルと同じSSRIです。
違いとしては、効きも副作用もジェイゾロフトの方がマイルドだということです。
薬をチェンジしてからは副作用で調子が悪くなることはなく、うつもいままで以上に、とはいえ少しずつではありますがよくなってきているのかな、と感じられてきました。
ん? んん? …ボチボチ動けるんじゃないかしら?
そろそろ何かやってみる? 外にも出てみちゃう?
とちょっぴりやる気が出てきましたね。
やる気がポチッと芽生えてきたので、すこ―しずつ何かやることにしましょうかね。
だからといって特段決意めいたものとか予定を組むとか目標とかはないですよ。
そういうことをいちいち設定したり決断したりコミットしたりは元気な人がするべきことです。
私は精神の療養、リハビリ中の身です。
無理はせず、やる気のときだけ何かやって、やる気がないときゃやりません!
そんな感じですが、寛解めざしてのんびりやっていきましょう。
あ、うつ病は「完治」という言い方をせず、服薬がなくなり、調子を崩すこともなく、うつになる前のレベルに戻ったことを「寛解」というのです。
さあ、カッパウロのうつ病体験記も次回で一応の終わりにしますね。
療養生活の後半はいかに?
/ To Be Continued ///